こだま千本桜

児玉町を流れる小山川河畔両側に1100本の桜が、5㎞に渡り美しく咲き誇ります。4月上旬には「こだま千本桜まつりが」開催されます。

雉岡城址

雉岡城は別名を八幡山城といい、戦国時代に関東管領山内上杉氏が築いたと伝えられています。上杉氏の家臣夏目豊後守定基が最初の城主で、その後、後北条氏の持城となり、天正18年(1590年)に豊臣秀吉の軍勢のために落城、徳川家康の関東入国後、家臣松平清宗・家清父子が城主となり、関ヶ原合戦後松平家清が三河国吉田へ移されると、雉岡城は廃城となりました。城址は現在は城山公園となり、春には桜の名所となります。

骨波田の藤

長泉寺の境内にあるこの藤は、樹齢650年と推定され、藤棚の広さは500m2にも及び花房も最長1.5mの長さに達し、白と紫の見事な花を咲かせます。見頃は5月初旬で1週間程度。(県指定天然記念物)

あじさいの小路とごっくん水

林道沿い2㎞に渡り、約6,000本の色とりどりのあじさいが植えられています。山間地にあるため平地より開花が遅く「遅咲きあじさい」として知られています。小路の途中には、一年中枯れることのない自然の湧水「ごっくん水」もあります。自然の中で深呼吸しながら、ハイキングを楽しむことができます。 あじさいの見頃は6月下旬から7月下旬。

間瀬湖と間瀬堰堤

間瀬湖は昭和12年(1937年)に児玉用水の貯水池として造られました。児玉町小平を流れる間瀬川を間瀬堰堤(間瀬ダム)で堰き止めて造られたものです。このダムは堰堤の高さ27.5m、延長は126mの重力式ダムで、東日本に残る最古の農業用重力式ダムです。現在、国の登録文化財になっています。間瀬湖は県立上武自然公園の中にあり、新日本百景にその名を連ね、ヘラブナ・ワカサギ釣りの名所として、また春には桜の名所として有名です。

高窓の里

児玉町小平の東小平地区と稲沢地区には、古い養蚕農家が多くあります。中でも屋根の上に高窓と呼ばれる換気用のやぐらを乗せた家が多く見られます。古くは江戸時代も末期から出現し、特に養蚕の最盛期となった明治後期から大正期にかけて児玉地方をはじめ、秩父地方や群馬県西部などでたくさん建設されました。高窓の形や数に特色があり、かつての養蚕盛んなりし頃の風景が今に残ります。

旧配水塔

児玉町は昔より水の乏しい土地柄で、当時の人々は多くの井戸により生活用水を賄ってきました。そのため水利用には大きな苦労があり、衛生上も好ましいものではありませんでした。昭和2年より本格的な近代水道事業が計画され、昭和6年に配水塔が建設されました。配水塔は当時町内5000人に水道水を供給するために設けられた高架水槽で、外見は塔型で内部の上層に水槽を設け、下層にポンプを配置しています。全高は17mあり、水道のシンボルとして保存されています。(国の登録文化財)

競進社模範蚕室

児玉町児玉の仲町にはかつて日本の近代化に大きな役割を果たした養蚕業を振興するために設立された競進社模範蚕室(埼玉県指定文化財)があります。この建物は明治27年(1894年)に競進社社長木村九蔵が自ら考案した養蚕専用の蚕室で、内部は4部屋構造で、各室に炉及び吸気口が設けられ、天井は「こもらがえし」と呼ばれる格子状の天井で、暖気はこの天井を通って中二階にのぼり、さらに屋根上に設けられた高窓と呼ばれるやぐらから排気される構造をとっています。木村九蔵は養蚕の研究を進め、温暖育と呼ばれる飼育法を考案して当時の養蚕の振興に多大な貢献をしました。

ふるさとの森公園

児玉町小平の東小平地区は町民憩いの場としてふるさとの森公園があります。この公園内には観光農業センターを拠点にバーベキュー広場やアスレチック遊具を備えたトリム広場、さらに地形を生かした散策道があります。人工池にそそぐせせらぎ水路などもあり自然を生かした環境が整備されています。

八幡神社

八幡神社は東石清水八幡宮といい、社伝では八幡太郎義家が奥州合戦の際にこの地に立ち寄り祭壇を設けて戦勝を祈願したといい、合戦に勝利後、再びこの地に立ち寄り石清水八幡宮を勧請したといいます。現在の社殿は江戸時代の享保期に再建されたもので、青銅製鳥居は佐野の鋳物師作です。境内の青銅製鳥居・拝殿・本殿は埼玉県指定文化財となっています。境内には俳句や剣術・相撲の奉納額や、芭蕉句碑などの文化財が多くあります。