百体観音堂と成身院

児玉町小平には新真言宗豊山派寺院成身院があります。成身院は周辺の99ヶ寺を末寺に持つ地方本寺で江戸時代には大きな偉容を誇っていました。天明3年に起きた信州の浅間山大噴火は周辺の村々を飲み込み大きな被害をもたらし、住職元映は亡くなった人々の冥福を祈るために百体観世音の建立を祈願しました。

大鰐口

弟子の元照上人は師の意志を引き継ぎ、江戸に托鉢を行い多くの人々よりの寄進を受けて寛政期に百体観音堂を建立しました。外観2層、内部3層構造で栄螺堂と呼ばれ、内部は梯子によって一層づつあがり周りながら百観音をたどれるようになっています。現在の建物は明治21年に火災で焼失し、同41年に再建されたものです。堂の入口には寛政11年に造られた大型の鰐口が下がっています。

玉蓮寺

寺伝によれば、児玉の豪族児玉党一族の児玉時国が深く日蓮上人に帰依し、日蓮が鎌倉で捕らえられ佐渡に配流される途中、時国は日蓮を自邸に招き教えを請い、さらに日蓮が赦免され鎌倉に帰るときも自邸に宿泊させたといいます。時国は自邸の一角に草庵を設け信仰を厚くしました。後に自邸を寺としたのが玉蓮寺といいます。境内の一角には日蓮が足を洗ったという井戸があります。墓地には俳人久米逸淵の墓と句碑、本堂裏には乾元3年銘釈迦一尊種子板碑(町指定文化財)があります。

秋山古墳群

児玉町秋山の塚原地区にはその名のとおり多くの古墳があります。秋山古墳群と呼ばれ、5世紀から7世紀にかけて築造された古墳群で、かつては100基近い古墳が築造されたようです。

庚申塚古墳

秋山古墳群中にある庚申塚古墳(町指定文化財)は発掘調査され、それによれば6世紀頃築造された全長30mクラスの円墳で、多くの出土品が出ています。付近には全長60mの前方後円墳である諏訪山古墳があります。

鷺山古墳

児玉町下浅見には4世紀前半に築造された鷺山古墳があります。古墳は西に生野山丘陵、東に大久保山(浅見山)丘陵に挟まれた小丘陵上にあり、南北に広がる広大な条里水田を見渡せる絶好の位置に築造されており、まさにこの地域の王にふさわしい立地環境です。古墳は全長60mの前方後方墳で、4世紀前半に築造されたと推定される武蔵国で最も早く築かれた古墳の一つです。